文石書院はかつて澎湖唯一の書院(注:私塾の一種)として、また最古の学校として1766年(乾隆31年)に設立されましたが、後の清仏戦争において破壊されてしまいました。
その後、日本統治時代初期に野戦病院として利用された後、澎湖孔子廟として再建されました。
馬公市新生路の澎湖生活博物館の隣にあり、この地は澎湖における教育発祥の地となっています。文石書院の名は、澎湖が台湾で「文石」と俗称されているアラレ石等の模様のある鉱物の一大産地であることに由来します。
創建当初は学問の神である魁星を祭っていたことから「魁星楼」とも呼ばれており、その後の数度の修築を経て、1895年に地域の名士が中華民族固有の文化を保存するため、
文石書院を孔子廟に改めました。さらに1999年には澎湖県が資金を投じて建て直しを行い、現在の姿になりました。
正面の門をくぐると塀際に高くそびえる石碑が目に飛び込んできますが、その「施琅靖臺碑」の文字は風化して不鮮明になっています。大成殿と東廡および西廡、そして大成門および櫺星門と祟聖祠などで構成され、伝統建築の面影を今にとどめる清朝の伝統スタイルを踏襲した標準的な中国風の二層式の建物です。
【見学時間の目安】1時間